2011年3月10日(木)
22:30 道の駅どうし到着。
薪購入後青野原AC移動、shuuさん、imakyanさんと合流。imaさんと初めて
お会いしました。その後日付が変わる前後にimaさん撤収。夜明けごろshuu
さん相模湖へ移動。
空白の30時間開始
2011年3月11日(金)
08:00 釣り開始(前日入漁券購入済み)。
11:00 一旦撤収。地元で開催される会合出席&買出しのため、移動。
13:30 会合開始
14:46 会合ほぼ終了と同時に地震。会場は地下1階(半地下)。
長い横揺れが収まると同時に地上に避難。
この時点で判ったことは、震源地が宮城県沖であること。
海岸方面への移動は避けるべきと判断して北上。ショッピングセンターの駐車場
で、大きな余震を体験。
さらに北上。青山交差点(停電中)より道志道に入る。ヤマザキデイリーストア
停電を確認。梶野交差点停電を確認。
17:00 セブンイレブン青野原店(停電中)の駐車場に車を停めて情報収集。
職場より安否確認の電話(この日は休暇)。
現在地を告げると、自宅周辺の安全と道路状況改善が確認できるまで帰宅を控え
るよう指示が出る。
情報の整理
1.宮城県沖を震源とする巨大地震(ラジオより)。
2.三浦半島・相模湾沿岸に津波の恐れあり(ラジオ及び職場より)。
3.自宅近くの道路(境川大橋)にひびが入り通行止め(職場より)
4.道志村方面送電継続中(山梨県方面から来たドライバーより)。
紅椿の湯へ移動を決断。
18:50 紅椿の湯到着。
大広間のTVで情報収集。
震源・規模の詳細判明。相模湾沿岸が津波警報ではなく大津波警報である
こと判明。当日の帰宅を断念。
紅椿の湯閉館後の移動先を思案。
1.ライフラインが生きていること。
2.比較的開けていてがけ崩れの危険がないこと。
3.東西だけではなく北(都留市方面)への移動が見込めること。
道の駅どうしの駐車場を選択。
21:00 道の駅どうし到着。車中泊。
寝る前に、道志の状況を記したメールを一本送信。
2011年3月12日(土)
未明(記録では03:59。揺れを感じたのは04:00ごろ)長野県北部で地震。
実家(長野県)に電話を入れるも通話できず。
帰宅可能になった場合と、実家への連絡を考慮し、夜明けを待ってセブンイレブン
青野原店に移動(8時前後到着)。
実家の無事(被害無し)を確認。大津波警報・通行止めが解除されていない
ことが判明。03:30ごろ付近の送電が開始されたことを聞く。
土曜日中の帰宅を断念。椿荘ACで幕営を決断。
11:00 椿荘AC到着。yaburin!さん父娘と合流。出撃の事情を伺う。
空白の30時間終了
設営後、すぐにオーナーがやってきて、3人で、立ち話。道志村では、
がけ崩れ、停電・断水等の被害がなかったことを聞く。
晩飯の仕込みをしながら暗くなるまで昼寝。夕方モブログup。
夜10時ごろトメさん到着。朝まで焚火。
2011年3月13日(日)
早朝テントに入って仮眠。昼頃職場より電話。
帰宅困難者全員帰宅完了を知る。土曜日午後には、大津波警報から津波
注意報へと変更になり、境川大橋通行止めも解除となったことから、帰宅
可能との連絡を受け、撤収開始。
午後、椿荘ACを後に。
心配してメールをくれた知人宅によって無事を報告。そのまま地域の会合に
出席した後72時間ぶりに帰宅。
アソビスギが右往左往していた、あの日のことでした。
んじゃ、これで。
あなたにおススメの記事